飛べるくらい軽くなりたい

飛べるくらい軽くなりたい

来世は蝶々に生まれたい。そして一生青虫で居たい。

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出張が楽し過ぎたのでセミ1セミ2下戸の愚痴綿棒

私にとってセミの鳴き声は。

 私がまだ小学生だった頃、先生に、セミの一生について教えてもらったことがある。セミは一生のうち7年間を土の中で幼虫として過ごし、最後の一週間だけセミとして地上で生きられるのだと。だから、あなた達も例え辛いことがあっても辛抱しなさい、と。長い間、辛抱強く耐えた物だけが地上に出てセミになれるのだと。

 先生の言いたい事は分かる。辛いことがあっても耐えろ。努力を怠るな。精進しろ。そして素晴らしい人間になれ。とてもいい教えだと思う。それが出来る物があの教室に何人居たのかは別として、理想を説くのは素晴らしいことだと思う。

 でも、私には不思議だった。先生の教えのことではない。セミの例えの事だ。セミにとって地上に出た後の一週間は本当に幸せなのかと。セミの幼虫にとって土の中は生まれた場所であり、育った場所だ。ただ本能に従って7年間慣れ親しんだ場所を捨て、地上を目指すとき、そのときセミの心には絶望はないのだろうかと。ただ死地を求めて土を掻くその手は震えてはいないのかと。そして真夏の太陽の下にいったい彼らは何を見るのかと。

 セミの幼虫にとって、地上は見知らぬ場所だ、行ったこともない、教えてくれる物も居ない。例えセミが土の中で意思疎通が出来たとしても、誰も答えを持ち合わせていないのだ。地上に行ったセミが再び帰って来たことなど無いのだから。それは人間にとっての死後の世界と似たようなものなのでは無いだろうか。誰も知らない、誰も帰らない、そもそも存在するのかどうかすら分からないその場所は、彼らにとって幸せな場所なのだろうか。

 私には地上に出たセミは1週間をかけてゆっくりとした自殺をしているようにしか見えない。或いはセミは地上に出た時点でもう死んでいるのかもしれない。とすら思える。あの鳴き声は私にとって苦悶の声にしか聞こえない。早く交尾を済ませて死なせてくれと、そう叫んでいるようにしか聞こえない。

 夏も一段落着いてセミの声も遠くなった。今日、ベランダで死んだセミを見つけた。せめて土に還してあげようと、摘み上げようとしたところ、急に何かを思い出したかのように羽を広げて何処かへ飛んで行った。あのセミは今死の淵に居て幸せなのだろうか。私にはどうしてもそうは思えない。

 それともこれは、あの先生の教えを守れなかった私の、素晴らしい人間になれなかった私の、ただの感傷なのだろうか。

 

かっこいい文章だって書けるんだぜ!って頑張ったけど無理だったで賞。

 

追記。↓弟

 

ilaa.hatenablog.jp

 

 

 

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