飛べるくらい軽くなりたい

飛べるくらい軽くなりたい

来世は蝶々に生まれたい。そして一生青虫で居たい。

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出張が楽し過ぎたのでセミ1セミ2下戸の愚痴綿棒

飛べるくらい軽くなりたい

いつもは昔話をするときは自分の日記を読みながら書いていますが、今回は日記を読まずに私の記憶だけで書いています。
日記の分まで、全部をここに置いていく事はさすがにつらいので。
だからあやふやな所とか、忘れてる所とか、いつも以上に話があっちこっち行ってると思います。ご容赦ください


 


先日、私の唯一の友人が死にました。
車の中で一人でコンロを焚いて眠っていたそうです。
遺体は翌朝発見されたそうです。
5月の連休が明けてすぐのことでした。


彼女は私の人生で唯一の友人でした。
この世界で唯一大切な人でした。
純粋に、切実に、一番失いたくないモノでした。


彼女が私をどう思っていたかは知りません。
興味が無かった訳ではありません。
でも、彼女は私の傍に居てくれたし、私を必要としてくれたので、私にはそれだけで十分だったのです。
最期の瞬間、その時に私を必要としてくれなかった事を知ったときは、そのと時の感情はまだ言葉になっていません。


大学時代はほとんど毎日会っていたと思います。
学部も学科も同じで選択授業も全部同じにしていましたし、私と彼女のアパートは徒歩で1分半くらいかな、それくらいの距離だったので、大抵どっちかの部屋に一緒に居ました。
こうやって文字に起こしてみて、知り合いに「付き合ってるの?」とか「そっちの人なの?」とか聞かれる理由が分かりました。
やってることは半同棲ですからね。


大学をでて社会人になって、彼女は東京の会社に、私は神奈川の会社に就職しました。
お互いの家の距離は電車で1時間くらいでした。
休日はちょくちょく会っていたし。連休はどっちかの家で一緒に居ました。
こうやって書いてみるとやっぱり私達は「付き合っていた」のかも知れません。
以前は全力で否定していましたが、今はむしろそうであって欲しいとすら思います。
彼女にして見ればはた迷惑な話かもしれませんが。


彼女が車を買ったのは昨年の3月。
今思えば、それあ死ぬための準備の一環だったのかも知れません。
彼女が車を買ってすぐに、一度だけ運転させてもらいましたが、私は運転がとても下手だったので、「やめろ、事故る、死ぬ。」と言われてそれ以来ハンドルには触らせてもらえませんでした。
でも、それは私にとってはどうでもいい事でした。
彼女の運転する車の助手席でタバコを吸う時間がとても幸せだったのを覚えています。


彼女が自殺に使ったコンロはふたつでした。
そのひとつは大学時代に彼女と私で共同購入したものです。
室内でこのコンロで焼肉をしたらどうなるかという実験、というか遊びでした。
大学時代そういう遊びをいくつもやっていました。
自殺未遂というよりは自殺ごっこ。
ちなみに室内でこのコンロを使って焼肉をすると、部屋中に煙が充満して布製品どころか壁紙まで焼肉の匂いになります。
一酸化炭素とかそういう話以前に、煙で目は開けられないし臭いしで速攻で断念しました。
恐らく最初に焼く肉を豚トロにしてしまったのが一番の原因ですが、彼女の好物だったので仕方ありません。


彼女がこの死ぬために方法を用いた理由は分かりません。
わざわざ5月の気温が上がってから車内でコンロを選んだのには理由があると思うのですが。
或いはなんとなく部屋の整理をしていたらあのコンロが目に入ったのかもしれませんし。
周りにあまり迷惑のかからない方法を選んだのかもしれません。
彼女は610も持っていたはずですが、そっちは周りに迷惑がかかりますので。


これはもう想像の話ですが、彼女は3月に車い、準備を整えました。
しかし私がそれをはしゃいで、連休にドライブに行くことを提案したせいで計画がずれ込んでいたとしたら。
笑えないけど笑うしかありません。
連休中ずっと一緒に居たのに一度も誘ってくれなかったのは、何だろな、彼女なりの配慮だったのかも知れません。
それとも私に残す最後の思い出を楽しいものにしたかったから?


私と彼女は友達とは言え。隠し事が無いわけでもありませんし。余裕で嘘を吐きます。そいういう関係でした。
そういう事が許されたからこそ、私と彼女は友達だったのです。
でも、だからといって全てを隠せるわけではありません。自殺願望を戸棚にしまって私から見えなくしたとしても。
私にはその戸棚は見えます。中身は知らなくても、彼女が何か隠している事は知っているのです。
そしてと棚から漏れる匂い、それは彼女の仕草だったり、癖のちょっとした変化だったりするのですが、それで棚の中身は大体予想がつきます。
でも、連休中、私は戸棚さえ見つける事が出来ませんでした。

彼女が本気で徹底的に隠したのか、それとも私が浮れ過ぎていたのか。
誰にも悟られず死ぬ事ができたら・・・そんなゲームみたいな事を彼女が考えていたとは思えませんが。



彼女が運転をして、私が助手席に座って、会話なんてほとんど無くて、でもそれが私の幸せでした。
私と彼女はとても長い時間一緒に居ましたが、普段は二人ともほとんど喋りませんでした。
喋るべき事も特にありませんでしたし、二人ともコミュ障でしたから。
彼女の病気は正確には、うつ病で、統合性失調症で、ADHDでした。他にも有りましたが覚えていません。
この3つを覚えてるのは一度だけ彼女に精神科に連れてってもらったときに私もこの3つの診断を貰ったからです。(統合性失調症はなりかけでしたが。)
お揃いだねとか言って笑ったのを覚えています。
彼女は私の知る限りずっと通院していましたが、私はこの1度きりでした。
初めて会う医者に自分の心の弱みを言うのがとても苦痛だったので、その時に貰った処方箋もすぐに捨てました。
精神科デートできないじゃん。と彼女が不貞腐れていたのを覚えています。


やっぱり勘違いされそうなのでここではっきり説明しておきます。
今日あらためて考えてみると私は彼女が好きでした。それが愛とか恋なのかは知りませんが、私は彼女が好きでした。
彼女が私をどう思っていたのかは知りません。これについては前述の通りです。
それでも私は彼女が好きでした。
その好きの表現方法は彼女の傍に居る事だけでしたが。
それだけで私は十分幸せでしたし、それだけで、私の思いも彼女に伝えられていたと思っています。
でもそれだけです。言ってみれば同じ空間に長期間一緒に居ただけです。
私は人に自分の体を触られるのが極端に苦手だったので、ごく稀に彼女がふざけて私を触ってくるとき以外は、殆ど触れ合ったことすらありません。
手を繋いだことは何回かあります、抱き合ったことも、ない訳ではありません。。
でも、キスとかそれ以上のことは全く頭にありませんでした。
もし、私が自分の体を触られるのが嫌じゃなかったら。
どうだったんだろ、でもこれは彼女の気持ちを私が知らない限りは、想像というより妄想になってしまうので割愛します。
はっきり説明するつもりでしたが結局私の中ですら消化出来ていない話でした。
そして彼女がもう居ない以上、一生消化出来ない話なのでしょう。




彼女の最期の夜の話をします。
その日の夜彼女からメールがありました。
「おさきでーす」

一文だけのこのメールですが、私に彼女の意図を伝えるのには十分でした。
すぐに電話をかけましたが既に彼女の電話の電源は切られていました。
パジャマ代わりにしていたジャージのまま、私は財布とケータイだけを持ってタクシーを捕まえました。
彼女の家の住所を伝えなるべく急いで欲しいと運転手に伝えました。
彼女の家に着いたときに駐車場に彼女の車が無いのが見えました。
とりあえず彼女の部屋の前まで行って、鍵をあけ、深呼吸してからドアを開けました。


もちろん、そこには彼女の姿はありませんでした。
電気は付けっぱなし、パソコンもテレビも。
それは、今にも玄関のドアが開いて「ちょっとコンビニに行ってた」と彼女が帰ってくるのではと思うくらい、そして「馬鹿め。騙されたな。明日空いたから遊ぼうよ」笑いながら誘ってくれるのではないかと、そんな期待をしてしまうくらい、そこには彼女の生活が残されていました。

でもそんなことなど起こりえないことを私は知っていました。
彼女の部屋で一番目立つ大きなテーブル。「この部屋に大きすぎるけど一目ぼれして買っちゃた。」と言っていたそのテーブル。
その上に2通の遺書が置いてあったから。一通はは両親に。もう一通は私宛に。


とりあえず私は彼女の両親に電話をして状況を伝えました。時刻は3時頃だったと思います。
彼女の両親が警察に連絡をしたらすぐにこちらに向かうから、私にその部屋に居て欲しいと言われました。
彼女の両親との電話が終わった後、もう一度彼女に電話をかけました。やっぱり電源は切られていました。或いは電波の届かない場所に居ると。
もしかしたら彼女はゲームをしているのかも知れない、本当は私に見つけて欲しいと思っているのかも知れないと、そう思い、私宛の遺書を開封しました。そこには手書きで一文
「ごめんね やっぱり 一人でいいや」
そう書いてあるだけでした。当たり前ですが彼女はゲームをしていたのではなかったのです。
自殺ごっこで済んでいた時代は当に過ぎていたのです。


その後、私は近くのコインパーキングをしらみつぶしに探しました。
あの部屋に一人で居たらそれこそ。彼女の思い出に押しつぶされてしまいますから。
結局朝まで探し回りましたが彼女の車は見つかりませんでした。


7時くらい、もう少し早かったかも知れません。彼女の両親から今彼女の部屋に着いたと連絡がありました。
私も仕方なく彼女の部屋に引き返しました。
思い出しました。私が彼女の部屋に着いたときがちょうど7時でした。


意外なことに彼女の両親は彼女の部屋の鍵を持っていませんでした。
私が彼女の部屋の鍵を開け、彼女の部屋の鍵をキーケースから外し彼女の両親に渡しました。それが自然だと思ったからです。
それから彼女の部屋で彼女の両親にいろいろな事を聞かれました。
彼女と私の関係、最近の彼女の生活、彼女の仕事、交友関係、彼女の両親は本当に彼女について何も知らないのだとそのとき知りました。
そして、そんな人たちにもう死んでしまっているであろう彼女との思い出を分け与えるのが悔しくなって。
私は泣いてしまいました。彼女が本当に死んだと、彼女の死顔を見るまでずっと堪えているつもりだった涙がもう止めることが出来ませんでした。
それから彼女の遺体が見つかったと連絡があるまで私は何をしていたのでしょう。記憶から抜け落ちています。泣き続けていたのでしか。


どこかで会社に電話をかけて欠勤のことを伝えたとは思いますが。記憶なりません。


彼女が見つかったと連絡があったのは9時30分頃だったと思います。場所は私の実家の近くのコンビニの駐車場でした。
田舎の国道沿いのコンビニの駐車場はとても広いので、そこに一晩くらい車が停まっていても誰も気にも留めません。
昔、何度か彼女に私の地元に行ってみたいと提案されたことがあります。しかし、私は地元には悪い記憶しかありませんでいたし、今はタダのコンクリートの壁になっています。そんなところに行くのもなーと遠まわしに拒否し続けていました。


「一人でいいや」というのは私の地元の事だったのでしょうか。
もし私が意地を張らずに地元を案内していれば。そんなことも、何回も考えましたが結局、何を仮定したところで私の妄想でしかありません。
その後は私は彼女の部屋で警察の人にいくつか質問をされ、昨日メールがあったときからの経緯を伝え、そこで開放されました。


彼女の遺体は警察署に運ばれて、事件性が無いことが分かったためその場で彼女の両親に引き渡されたそうです。
彼女の両親はその近くのお寺で仮のお葬式をして、火葬にし、骨を実家に持ち帰りそこで本当のお葬式をしたそうです。
私はどちらにも参加しませんでしたが、こちらは後日彼女のご両親からお手紙を頂きました。
その手紙の最後に生前の彼女のことを教えて欲しいと書かれていたので、何度か筆を取りましたが、何度書いても何を書いても最終的に書くのが辛くなってしまい、結局、どうしても書けないというお詫びの手紙と共に私の日記の一部、彼女のことが書かれていて差しさわりのな内容の物を選んでコピーをし、彼女の両親に送りました。

彼女の死んだ場所が私の地元だったため遺体の引取りのときに一緒に行ってくれないかと頼まれましたが。
彼女の死顔は見たくありませんでしたし、少なくとも半日前まで彼女だったものを燃やすことにも耐えられない。と伝え辞退しました。


あと、私もこのとき知ったのですが、他人に対する相続のようなもので遺贈というシステムがあるそうです。
彼女は生前に自分の財産の全てを私に遺贈しするという手続きをしていました。
死ぬ前に全部準備してたんだなと思うのと反面。その気配を一切感じられなかった自分が馬鹿らしくなりました。
気が付かなかった自分にもですが「お前を置いていく代わりに飴やるよ」と彼女に言われている気がして遺贈は放棄しました。
恐らくですが私が遺贈を放棄することを見越して私に彼女の財産を私に遺贈しようとしたのだと思います。
遺贈の件で私は彼女の大切な人だと表面上は証明された訳ですし、それを私が放棄することで彼女の遺族の思いの矛先を私から逸らしてくれたように思えます。
なんだか全て彼女の手のひらの上で踊らされているようで気に食わなかったのですが。

その代わり、と言っては何ですが、彼女が良く座っていたリクライニングチェアを形見分けとして頂きました。
その椅子はもちろん今も私の部屋に有りますが、その椅子が目に入るたびに彼女のことを思い出してしまうので、少し後悔しています。オットマンだけで十分だったなと。


私の、彼女の最期のときはきっと一緒に居てくれると勝手に思っていました。
それなのに彼女は色々と面倒な手続きをして、準備に準備を重ねて結局一人で。私を置いて。


「ごめんね やっぱり 一人でいいや」
この一文が私の心をえぐります。死ぬときは一緒だと思っていました。
それが二人での心中なのか、一人と一人でのそれぞれの自殺なのかは分かりませんが。
とりあえず最期の時は隣にいられるもんだと思ってましてた


更に私の心を縛る一文。
「おさきでーす」
他愛の無いメールの一文。普通に考えれば「お前も早く来いよ」と読み取れます。
かといってすんなり後を追うのは彼女に操られているようで癪です。
しかし、彼女の居ないこの世に価値なんて有りません。少なくとも私にとっては。


私がどっちに行くか迷っている間はきっと私はこち側にいるのだと思います。
きっとそうだと思います。

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